2009年12月18日

北朝鮮による日本人拉致問題世論

日朝首脳会談(第1回)以前、特に1990年代前半までマスメディアや国民の多くは拉致問題に無理解・無関心であり、日本政府も事実上無視していた。"謎の失踪事案"は新潟県で特に多発していたが、田中角栄などの政治家は地元の被害者の相談に無視を続けた。それ以前は、1980年に公明党の和泉照雄参議院議員が拉致問題に連なるアベック失踪事件に関する質問をしたが、質疑応答において北朝鮮という国名は出なかった。

その後1988年1月28日、衆議院本会議において竹下登首相の施政方針演説に対する代表質問の中で、民社党・塚本三郎委員長が拉致問題を取り上げた。塚本のこの質問は政党代表者が代表質問において初めて北朝鮮による日本人拉致について取り上げたものであったが、竹下首相からは明確な答弁を得られなかった。同年3月26日、参議院予算委員会で日本共産党の橋本敦参議院議員が福井、新潟、鹿児島のアベック拉致容疑事案と辛光洙事件に関する質問をし、これに対して当時の梶山静六国家公安委員長が北朝鮮による拉致の疑いが濃厚という答弁を行った。続いて宇野宗佑外相・林田悠紀夫法相が主権侵害である旨を指摘しながら同趣旨の答弁、更に警察庁も初めて北朝鮮による拉致の疑いがあると答弁した(このことは2002年の参議院内閣委員会において谷垣禎一国家公安委員長(当時)も公明党の山口那津男参議院議員の質問に対してこのときが政府が拉致の疑いがあると答弁したのが最初である、と答弁している)。その後も橋本議員はたびたび拉致について取り上げたが、国会では闇に葬られたままとなっていた。

その後、1997年5月1日の参議院決算委員会において吉川芳男の質疑に対し、伊達興治警察庁警備局長(当時)が北朝鮮によって横田めぐみが拉致された疑いがあるとした答弁を契機に、メディアが拉致問題を一斉にクローズアップした。拉致問題の報道が本格的になると同時に国民の関心も徐々に高まっていった。一方で北朝鮮に比較的擁護的だった立場の人々、とりわけ多くの在日朝鮮人や一部の保守系政治家、または左翼勢力(主に旧日本社会党、現在の社会民主党)の中には北朝鮮による日本人拉致問題を右翼や政府による捏造と信じて疑わなかった者が多く、一部では朝鮮人差別を原因とした捏造であると信じていた者もいた。

しかし、2002年9月17日の小泉純一郎と金正日による日朝首脳会談(第1回)で金正日国防委員会委員長が一連の拉致事案や工作船事案を認めて謝罪した事で状況は一変する。メディアは連日日本人拉致問題を報道して北朝鮮を激しく糾弾し、国民の多くは対北朝鮮制裁を強く訴えるようになった。大韓民国の東亜日報は当時の日本国民の激怒ぶりを「憤怒」と報じた。報道におけるタブーとして有名であった「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国...(以後、北朝鮮と呼称する)」という呼称法が一斉にメディアから姿を消し、単純に「北朝鮮」と呼称するのが圧倒的多数になった。英語圏に於いては拉致事案をKidnap(誘拐)からAbduction(拉致)へと表現を強めた。

日本人拉致問題を「でっちあげ」と言い続けてきた朝鮮総聯は本国にハシゴを外された格好となり、急遽記者会見を開き火消しに奔走したが時既に遅かった。同時に拉致事件に怒りを覚えた一部の日本人によってチマチョゴリを着用した女子生徒への嫌がらせ事件(チマチョゴリ切り裂き事件)や朝鮮学校生徒への暴言・暴行があると総連は主張した。

北朝鮮に対して比較的友好的な立場をとっていた人々は、この世論の大転換を目の当たりにして、日本人拉致問題を追及せざるを得ない状況となり、また拉致問題を捏造と主張していた人々は事実認識の誤りを訂正して謝罪を迫られる状況に追い込まれた。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

この問題は多数の日本人が極秘裏に北朝鮮拉致されたものです。

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